私の透析体験談
このコーナーでは、仕事や趣味などを通じて充実した毎日を過ごされている透析患者さんにご登場いただき、
透析療法を続けながらも人生を楽しむコツなどについて お話しいただきます。

私の透析体験談 Vol.2
透析は自分らしい生き方を見直すチャンス
肩の力を抜いて「気負わず、頑張らず」を心がけています。

古山 正樹(こやま まさき)さん(60)血液透析歴 9年 写真
古山正樹さんが透析を始められたのは52歳のとき。
透析開始という宣告は、働き盛りで仕事中心の生活を送っていた古山さんにとって大きなショックでしたが、「無理をせず、突っ走らないという生き方にシフトチェンジする良い機会だった」と振り返られています。

退職後もライブでギターを演奏し、透析生活に関する情報を発信するブログを綴ったりと充実した日々を送られている古山さんですが、透析を受け入れるまでには大きな葛藤があったそうです。ここでは透析を始められた当時から現在に至るまでのご経験についてお聞きし、透析を無理なく続けていくためのアドバイスをいただきました。

古山 正樹(こやま まさき)さん(60)
血液透析歴 9年

古山正樹さんが透析を始められたのは52歳のとき。
透析開始という宣告は、働き盛りで仕事中心の生活を送っていた古山さんにとって大きなショックでしたが、「無理をせず、突っ走らないという生き方にシフトチェンジする良い機会だった」と振り返られています。

退職後もライブでギターを演奏し、透析生活に関する情報を発信するブログを綴ったりと充実した日々を送られている古山さんですが、透析を受け入れるまでには大きな葛藤があったそうです。ここでは透析を始められた当時から現在に至るまでのご経験についてお聞きし、透析を無理なく続けていくためのアドバイスをいただきました。
2年間頑張った食事制限で20kgのダイエットに成功も透析導入へ・・・
古山 正樹(こやま まさき)さん(60)血液透析歴 9年 写真1

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透析を始められたのは働き盛りの52歳のときだったとお伺いしていますが、どのようなきっかけだったのでしょうか。
わたしは30歳の頃に健康診断で蛋白尿を指摘されていましたが、特別な治療はしていませんでした。けれども50歳になった頃に突然、足の甲が痛くなってしまい病院に駆け込みました。そこで腎臓がかなり悪くなっていることがわかったんです。

医師にはすぐに透析を始めるようにと言われたのですが、透析を始めた後の生活がどんなものか想像もつかず、なかなか決断がつかなかったですね。そこで、なんとか透析開始を遅らせようとまずは食事制限を、特に減塩に気をつけながら自己流で2年間頑張りました。
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「減塩」と言うのは簡単ですが、実践するのはなかなか難しいと聞いています。
そうですね。妻のおかげです。妻が毎日頑張って減塩に配慮したお弁当を作ってくれました。仕事の延長で昼も夜も外食が多かった習慣をやめて、娘が高校生のときに使っていたお弁当箱でお弁当を持参するようにしました。小さいお弁当箱で腹八分目で・・・最初は寂しかったですが、不思議なことに1週間もすれば慣れてきて、そのうち当たり前と思えるようになっていきました。

減塩と言えば、実は減塩食を始めて1~2カ月たった頃に急に体に力が入らなくなることがあって・・・。主治医のところに行ったら今度は「減塩しすぎだ」と。塩分が怖くて減塩しすぎて1日2gくらいしか摂ってなかったのですね。

そこで妻と話して、料理に使う塩を厳密に計るのをやめて、野菜炒めなどのおかずは塩を使わないで調理して、わたしはそのまま食べ、家族はそれぞれに塩分を足すといった工夫をしたり、漬け物や干物、汁物などの塩分が高いものは食べないようにしました。なんとか妻の負担を減らせないかと。

実はわたしは当時、ヘビースモーカーで体重も80kg近くあったのですが、こうした生活のお陰で20kgやせて、今もその体重を維持しています。
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食事制限の原動力となったお弁当には奥様の愛情もたくさん詰まっていたのですね。そんな中、透析導入を決断されたのはどういったきっかけだったのでしょうか。
その頃に、ある朝突然、息苦しさに襲われてしまったんです。主治医から腎臓の専門医を紹介されて、改めて透析を強く勧められたのがきっかけで透析を始めることになりました。
透析導入で不安や焦りに押しつぶされそうになったときも。
1年の時を経て透析を受けられるように・・・
ご家族で旅行を楽しむ古山さん
ご家族で旅行を楽しむ古山さん
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透析を始められたときはどんな思いでしたか?
それまでがむしゃらに働いていましたので、1日おきに4時間もベッドの上で過ごす生活が想像できませんでした。人生が終わったような気になり、「絶望ってこういうことを言うのかな・・・」と思った時期もありました。

今思えば当時は、透析が始まってしまう前に「やっておくべきことはないか」、「考えておくべきことはないか」・・・ということばかりにとらわれて、透析と正面から向き合うことを避けていたと思います。透析を始めてから1年間ほどは不安と焦りに押しつぶされそうな毎日でしたね。
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透析を始められてお仕事はどうされたのですか?
透析を勧められたときは、ある企業のIT部門の責任者を務めていましたが、透析開始が決まってからは総務部門に異動させていただきました。実はわたしには「定年退職後は資格を活かした仕事をしたい」という夢があり、これまでいくつかの資格を取得し、勉強に励んできたのですが、この夢はあきらめました。
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そういった決心をされるのもおつらかったと思います。周囲からの励ましもあったのでしょうか。
周りの友人や知人たちは、「透析を始めても元気に働いている人もいるから、大丈夫だよ」と励ましてくれました。でも、自分自身が透析を受け入れる気持ちになっていないときは、何を言われても聞く耳をもてないんですね。せっかくの励ましに反発することさえありました。
透析開始を一度立ち止まって生き方を見直すきっかけに
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古山さんが自分の中で透析を受け入れられるようになったのは、いつ頃ですか?
1年ぐらいかかったでしょうか。
仲間とトレッキングに挑戦
仲間とトレッキングに挑戦
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何かきっかけがあったのでしょうか。
それが、特にきっかけはないんです。透析を受け入れることも時間が解決してくれたと思っています。当時を振り返ると、この頃はおそらくこれまでで一番、自分自身を見つめ直した時期でした。どうしてこうなっちゃったのか・・・、仕事は、家族はこれからどうなるのか、本当に大切なものは何か・・・いろんな思いが自分の中で混乱してしまっているのですね。

こうした時期を乗り越えるには、やはり時間が必要だったと思います。でも、この時期を乗り越えた先で、だんだんと生きがいや楽しみを見つけようという意欲がわいてきました。これまでの人生は「将来のために」と努力を続けてきましたが、自分の体が悲鳴をあげたのは「こういう生き方を一度立ち止まって考え直すきっかけを与えてもらったんだ」と考えるようになりました。
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多くのサラリーマンの方々は、定年退職を迎えてから今後の人生をどう過ごすか考えると思います。
そうだと思います。ですから、わたしは他の人より10年早く人生を考え直すチャンスをもらったと考えています。透析を始めたことをきっかけに、資格を活かした仕事をバリバリしようという考えから、無理をせず、突っ走らず、頑張らない生き方にシフトチェンジできたことで10年得したんだと今は思えます。
退職後は趣味を楽しむ日々。
フォークソングを歌い、退職後はトレッキングも始める
主催するライブでフォークギターを演奏するご様子
主催するライブでフォークギターを演奏するご様子

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週3回、5時間ごとの透析の時間はどのように過ごされていますか?
もう慣れたもので、透析中に横になるとほとんどの時間は眠ってしまっています。以前はこの時間を有効に活用しなければと思って読書したりしていましたが、今は眠くなったら眠るように自然に過ごしています。

透析を始めてから1~2年で治療への気負いもだいぶ減ってきました。そうすると、毎日の生活の中に透析が自然に組み込まれていったように思います。60歳で定年退職してからは、皮肉なもので透析に通うことが生活のリズムを整える役割になっています。
――
フォークギターが趣味とお伺いしていますが。
フォークギターは高校生のときに少し経験した程度だったのですが、減塩に取り組み始めた頃に高校の同級生から誘われて3人でバンドを結成しました。わたしはギターとボーカルを担当しているんですよ。今も週に1回練習しながら、月に1回は小さなライブを主催し、年に1回はアマチュアバンド40組ぐらいで発表会を開いたりしています。先日は介護施設で慰問ライブを行うなど、バンド活動はわたしのライフワークになっています。
――
高校時代からの仲間がそばにいるのは心強いですね。今後はどういったことに挑戦していきたいですか。
気心の知れた仲間の存在はとてもありがたいです。退職してからは、これも同級生に誘われてトレッキングを始めました。昨年は近場の山でしたが3回ほど挑戦しました。同級生たちとは、年に1回は旅行に行ったりお互いの家族も交えて出かけたりもしています。

これから挑戦したいことは・・・、まだやっと会社に行かない生活に少し慣れてきたところなので、今は特にはありません。ただ「・・・しなければ」とか「・・・するべきだ」というふうに極力、思わないようにしています。世代のせいでしょうか、意識しないとつい「頑張らねば」と思ってしまうので。これからは自分の中で沸き上がってきた気持ちに素直に向き合っていこうと思っています。「・・・したい」を大切に。
――
古山さんはご自身の透析体験をブログに綴られて、広く発信されていますね。最後に、透析を始められた方々に何かアドバイスをいただけますか。
透析を始めてから1年間ほどはとても苦しい時期だと思います。同じ思いを経験した人がいることが分かれば少しは気持ちが楽になり、何かお役に立てるのではないかと思って、自分が体験したこと、直面した問題とどう向き合ってきたかを綴ったブログを公開しています。

このブログを読まれた方からご相談のメールをいただくこともあります。透析を受け入れたくないときは、誰がどんなアドバイスをしても心に響かないかもしれません。けれども、わたしのブログを読んでメールを送ってくださった方は、アドバイスを求めている時点ですでに解決の糸口を見つけているんだと思います。

わたしからアドバイスできることなんてありませんが、ご相談のメールには、『今の悩みはいつかきっと時間が解決してくれます。それまでは立ち止まって自分を見つめ直す時間をもらえたんだと思うことはできないでしょうか』とご返事することにしています。一度立ち止まって自分自身を見つめ直す中で、これからの人生の価値観も歩み方も自ずと見えてくるのではないでしょうか。
古山 正樹(こやま まさき)さんのプロフィール
大学卒業後、コンピュータ関連の企業の営業マンを経て、経営コンサルタントを目指し、企業経営を経験するために転職。
独立採算のシステム開発部門で30代、40代をモーレツ社員として働く。
52歳で血液透析を導入。
60歳で定年退職し、現在は磐田フォークソング愛好会(磐田フォークソング愛好会ホームページ)でライブ活動を展開中。
自身の透析体験を綴ったブログ(透析ブログ「透析なんて苦にしない」)も公開している。
監修医からのアドバイス
昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門 客員教授 秋澤 忠男 先生

昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門
客員教授
秋澤 忠男 先生

モーレツ社員として突っ走って来られた古山さんが、これまでの人生を全うすべく努力された食事療法、その努力の甲斐なく透析生活を余儀なくされた無念さと挫折感、そして透析生活の中から見出された新たな人生に感銘を受けました。

透析を逃れようとする無理な食事療法は、将来の健康状態を損なう懸念があるのですが、古山さんは奥様の愛情のこもったサポートを受け、80kgから60kgの減量に成功されるなど良い結果が得られ、そうした習慣が透析導入後の順調な経過につながっておられるのでしょう。

現在の透析治療は、残念ながら腎臓のはたらきの一部しか代行できませんから、食事療法や薬物療法が不可欠です。その一方で、患者さんにとって社会生活は大変重要なものです。

順調な社会生活を継続的に可能とするには、合併症の予防が大切です。予防のコツを医療スタッフとよく相談され、知識や経験を生かして社会貢献されると同時に、ご家族や仲間とのふれ合いを通じて人生を楽しまれることを期待しております。
モーレツ社員として突っ走って来られた古山さんが、これまでの人生を全うすべく努力された食事療法、その努力の甲斐なく透析生活を余儀なくされた無念さと挫折感、そして透析生活の中から見出された新たな人生に感銘を受けました。

透析を逃れようとする無理な食事療法は、将来の健康状態を損なう懸念があるのですが、古山さんは奥様の愛情のこもったサポートを受け、80kgから60kgの減量に成功されるなど良い結果が得られ、そうした習慣が透析導入後の順調な経過につながっておられるのでしょう。

現在の透析治療は、残念ながら腎臓のはたらきの一部しか代行できませんから、食事療法や薬物療法が不可欠です。その一方で、患者さんにとって社会生活は大変重要なものです。

順調な社会生活を継続的に可能とするには、合併症の予防が大切です。予防のコツを医療スタッフとよく相談され、知識や経験を生かして社会貢献されると同時に、ご家族や仲間とのふれ合いを通じて人生を楽しまれることを期待しております。

取材実施日:2017年2月22日 ※取材させて頂いた方の所属、役職等は取材当時のものです

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