私の透析体験談
このコーナーでは、仕事や趣味などを通じて充実した毎日を過ごされている透析患者さんにご登場いただき、
透析療法を続けながらも人生を楽しむコツなどについて お話しいただきます。

私の透析体験談 Vol.4
透析で手に入れた「第二の人生」を誰かのために役立てたい。
透析患者の就労支援や地位向上に取り組む。

梶原 健太郎(かじわら けんたろう)さん(39)血液透析歴7カ月 写真
梶原健太郎さんは、高校生の時から腎機能の低下が始まり、最近透析を始められるまで約20年間の保存期を過ごされてきました。
「いつかは透析導入」というタイムリミットが設定された生活から、透析導入後には生きがいを感じることができる毎日へと、人生に対する考え方が大きく変わったそうです。

「透析療法によって生かしてもらっているからこそ、有意義な人生を送りたい」という思いから、それまでのお仕事を辞めて透析患者さんの就労支援や地位向上に取り組んでいます。

梶原さんに、透析が必要とされるかもしれないと分かった当時から透析を始められた今の心境の変化や、ご自分に合った透析生活を見つけるためのポイントを伺いました。

梶原 健太郎(かじわら けんたろう)さん(39)
血液透析歴 7カ月

梶原健太郎さんは、高校生の時から腎機能の低下が始まり、最近透析を始められるまで約20年間の保存期を過ごされてきました。
「いつかは透析導入」というタイムリミットが設定された生活から、透析導入後には生きがいを感じることができる毎日へと、人生に対する考え方が大きく変わったそうです。

「透析療法によって生かしてもらっているからこそ、有意義な人生を送りたい」という思いから、それまでのお仕事を辞めて透析患者さんの就労支援や地位向上に取り組んでいます。

梶原さんに、透析が必要とされるかもしれないと分かった当時から透析を始められた今の心境の変化や、ご自分に合った透析生活を見つけるためのポイントを伺いました。
将来の透析導入に備える一方で、先延ばししたい強い気持ちも・・・
梶原 健太郎(かじわら けんたろう)さん(39)血液透析歴7カ月 写真1

――
医師から「腎臓が悪い」と指摘されたのは何歳の時でしたか。
高校2年生、17歳の時です。ある日、右足の親指の付け根が痛むので、当時打ち込んでいたサッカーが原因で骨折か捻挫でもしたのかなと思い、整形外科を何カ所か受診したのですが、レントゲンを撮っても骨に異常がなく原因が分からなかったのです。そこで血液検査をしたところ、尿酸値が11mg/dLと高く、「子どもの痛風」と診断されました。血中クレアチニンの値も高く、腎機能が健康な人の半分くらいだとのことで、「将来、透析が必要になるかもしれない」と医師から宣告されました。
――
大変なショックだったのではないでしょうか。
それまで特に何の症状もなかったので、やはりショックは大きかったですね。私はスポーツ少年で、小学生の頃に始めたサッカーに没頭する毎日で、サッカー選手への憧れも強かったのですが、激しい運動ができなくなってしまいまして・・・絶望感というのはやっぱりありました。でも同時に、身近に透析療法を受けている家族がいたので、透析をしていても普通の生活を送れることはある程度理解していました。
――
最近透析を始められたとお伺いしましたが、心の準備はできていたのでしょうか。
2~3年で透析導入となっていたら心の準備も難しかったと思いますが、導入まで20年をかけて準備ができたのは良かったのかなと今は思っています。けれども、その間は常に「急に透析が必要になる日が来るのでは・・・」という不安を抱いていました。自分に「タイムリミット」が設定されたような気持ちになり、透析を始めても自立した生活ができる仕事を持たなければといった焦りや漠然とした思いを抱えていました。

その一方で、「透析導入を1日でも先延ばししたい。できることなら死ぬまで透析を導入したくない」という強い思いもありました。こうした思いは、保存期に薬をきちんと服用し、食事などに気をつけて決して無理をし過ぎないように過ごした強い動機になったと思います。
透析導入後は「生かしてもらっている」という感謝の気持ちに
ベトナムでレストラン開業のお手伝い
ベトナムでレストラン開業のお手伝い

――
透析を始められる直前のご様子をお話しいただけますか?
大学生の頃に飲食店でアルバイトをした経験から、卒業後は飲食関係のコンサルタント会社を立ち上げました。透析を導入する直前も、ベトナムでレストランの開店準備に多忙な日々を送っていたところ、体調が急に悪くなりまして・・・。一時帰国のつもりで日本に戻り、かかりつけの病院を受診したところ、医師から「すぐに入院して透析を始めるように」と言われました。
――
体調が悪化する予兆などはあったのでしょうか。
実はちょうど導入する1年前から、クレアチニンの値などが若干上がってきていまして。先生とも相談して透析を始める時期が近づいているかもしれない・・・ということは聞いていました。でも、何とかレストランの開店までこぎ着けたくて、ベトナムに戻ることを医師に相談したところ、「どうしても行くのであれば、『医師から助言を受けたが、自分の判断で海外へいきます』と念書を書いてほしい」と言われたんですね。

それでベトナム行きは断念して、仕事は他の方に変わってもらい入院しましたが、その当時のことは頭がぼーっとしてしまっていて、細かいことはあまりよく覚えていません。
――
透析を始められたときの心境をお聞かせください。
幸運にも私の周りには、透析をしながら前向きに生活されている方が多く、そうした姿を間近で見ていたので透析を始めること自体には絶望感はなかったです。20年間かけて透析を受け入れてきた過程もあったのだと思います。

それと透析導入は、サッカーでいうと「アディショナルタイム」、つまり私の「第二の人生」のスタートでした。例えば、シャントを造る手術を受けた時に「これで生きることができる。透析によって生かしてもらっている」と感じました。透析療法は医師や看護師、臨床工学技士など多くの方々で支えられています。透析を始めてからは、こうした感謝の気持ちやこの命を誰かのために活かしたいという思いも強くなりました。

あともう1つは、透析を始める前はタイムリミットを目指して仕事を確立しなければといった思いで生きてきたことを一回リセットして、ここからは本当に自分がやりたいこと、楽しいこともやっていこうという考えも心に浮かんでくるようになりました。
保存期から透析導入後には体調や生活に変化も
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透析を始められてから体調はいかがですか。
導入直後はドライウェイトが合わず低血圧になったこともありますが、その後は起こらず、おかげさまで体調は良好です。
お仲間との会食時のご様子
お仲間との会食時のご様子

――
飲食関係のお仕事をされていたとのことですが、食事療法は苦労されましたか?
食べ物に関する知識はあるので、透析を始める前から食生活には気を遣っていました。飲食関係の仕事では、食べたり飲んだりすることも仕事の内でしたので、例えば、塩分の高いものを試食した時はそれ以外の食事を調整するとかでメリハリをつけていました。今は趣味に変わって、休みの日には食べたいものを自分で作ったりしています。

どちらかというと、私は水分制限の方が気がかりでした。保存期には水をできるだけ飲むように言われるので、20年間たくさん水を飲むことが習慣になっていたのです。でも、透析導入で入院した時には喉がほとんど渇かなかったんです。その理由を考えてみると、食事中の塩分が圧倒的に少ないためだったのではないかと。ですので、退院後も減塩を意識して自炊しています。
――
保存期と透析開始後では食事制限に違いはあるのでしょうか?
食事制限に関しては、保存期よりも透析導入後の方が比較的楽になるかもしれません。透析には食事制限以外にもさまざまな制約を伴いますし、人それぞれで状況も違うので一概には言えませんが、食事制限に限れば早く透析導入をした方が楽ですし、体にも良いと思います。
透析を続ける漠然とした不安に打ち克つために・・・日々の楽しみや生きがいを持つ
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透析をされながらお仕事をされる生活にはもう慣れましたか?
最近は仕事と週3回の透析を受ける生活にだいぶ慣れてきました。仕事帰りに透析を受けられるように、職場と自宅の中間地点にある透析施設を選んだことも良かったのかもしれません。
――
透析導入前は「いつかは透析導入」という不安を抱えていらっしゃったとのことですが、始められた後、心境に変化は起こりましたか。
透析を始めてまだ半年ですので、これから合併症が出るのではないかといった漠然とした不安を感じることもあります。でも、透析を長く続けながらも精力的に活動されたりする方を見て、しっかりコントロールしていけば私も大丈夫なのではないかという思いはあります。

それに不安ばかりに捕らわれていると気分が落ち込んでしまいますので、楽しいことや好きなことに目を向けることも大事です。これは全く個人的な考えですが、透析患者は誰しもが、急に血圧が下がらないか、合併症が起こらないかといった不安を抱え、また、2日に1回は透析を続けなければならないストレスなどから漠然とした恐怖を感じていると思います。私はこれを「心の闇」と表現していますが、私たちはこの「心の闇」に支配されないように強い心で恐怖心と闘っていかなければならないのです。
――
不安との闘い方は人それぞれでしょうか。
いろいろな闘い方があると思いますが、自分に合った無理のない闘い方を見つけることが大切です。まずは恐怖心に打ち克つために、食事制限や水分制限などで自分の体を良い状態に保ち、自信をつけること。そして、自宅と病院を往復するだけの毎日ではなく、仕事や読書、旅行といった趣味、家族との時間を大切にすること・・・何でもいいのですが、生活にちょっとした楽しみや生きがいを持ち続けることが不可欠です。私の場合は、誰かのために生きるという目標を持つことで不安に負けないようにしているところがあります。

それと、透析を続けながら充実した人生を送っている方々のお話を聞いたり読んだりすることで、自分に合った闘い方を見つけるためのヒントが得られるかもしれません。視野を広げてたくさんの情報を得て、透析についても知識を深められれば不安も小さくなると思います。
職場で面接指導をされているご様子
職場で面接指導をされているご様子

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梶原さんは透析患者さんの就労支援に生きがいを見いだされたわけですね。
そうですね。透析を始めたことで、生かしてもらっている感謝の気持ちから「誰かの役に立ちたい」と強く思うようになりました。そこで、透析を契機にそれまでの生活をいったんリセットして、第二の人生をどういう風に生きていくか模索していた時に、今勤めている透析患者の人材紹介会社に出会いました。

始めは求職者の1人だったのですが、透析患者さんの厳しい就労環境を目の当たりにすることで、自分の患者としての経験を生かし、透析患者の視点で就労を支援する側で透析患者を支えたいと考えるようになりました。自分にしかできない支援があるのではないかと。

透析を始めると身体障害者手帳を持つようになりますが、時間的な制約はあるとしても、きちんと治療を受けていれば、それ以外の部分は健康な人と何ら変わらないと私自身思っています。ですから、透析患者の多くは仕事もできますし、仕事をしたいと思っている方もたくさんいらっしゃいます。

透析患者が働くことができれば、自身の生活が安定するだけでなく、生きがいを持ったり、社会的な活動に参加したりできるようになるでしょう。また、仕事を通じて社会に貢献することができれば、透析患者の社会的な地位の向上にもつながります。今後はこういったところに力を入れていきたいですし、企業から「透析患者を雇いたい」と言ってもらえるようになるのが目標です。透析患者の就労支援は、正に「誰かの役に立ちたい」という私の願いを実現するもので、生きがいと言えます。また、漠然とした不安に負けず、打ち克つために私にとって大切な手段であり、武器だと思っています。
梶原 健太郎(かじわら けんたろう)さんのプロフィール
IHFヒューマンリソース株式会社 人材紹介・派遣事業部にてキャリアメンターとして勤務。
透析患者の就労支援に携わる。
目指すは、透析者に限らず障がい者全体の地位向上や待遇向上。
自身のブログ「まだ笛は鳴ってない」 で透析体験を綴っている。
監修医からのアドバイス
昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門 客員教授 秋澤 忠男 先生

昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門
客員教授
秋澤 忠男 先生

梶原さんは高校生の時に腎臓病を発見され、それから20年の長きにわたってきちんとした保存期の治療と生活を過ごされ、最近、透析生活を開始されました。飲食関係のコンサルタントをなさったり、透析を受けておられるご家族がおいでであったことは、新しい透析生活に大きく役立つことでしょう。透析を契機に「誰かの役に立ちたい」という第二の人生を志されたこと、頭が下がります。

少し重い内容になってしまいましたが、「心の闇」という透析患者さんの胸の内を伺うことができました。多くの患者さんが同じ思いをお持ちでしょう。健やかな気持ちで透析療法を続けるには、充実した人生を過ごされている透析患者さんのお話など、多くの情報を得ることが大切、という言葉が印象に残りました。これからも透析患者さんに多くの情報を提供して行きたいと思います。
梶原さんは高校生の時に腎臓病を発見され、それから20年の長きにわたってきちんとした保存期の治療と生活を過ごされ、最近、透析生活を開始されました。飲食関係のコンサルタントをなさったり、透析を受けておられるご家族がおいでであったことは、新しい透析生活に大きく役立つことでしょう。透析を契機に「誰かの役に立ちたい」という第二の人生を志されたこと、頭が下がります。

少し重い内容になってしまいましたが、「心の闇」という透析患者さんの胸の内を伺うことができました。多くの患者さんが同じ思いをお持ちでしょう。健やかな気持ちで透析療法を続けるには、充実した人生を過ごされている透析患者さんのお話など、多くの情報を得ることが大切、という言葉が印象に残りました。これからも透析患者さんに多くの情報を提供して行きたいと思います。

取材実施日:2017年5月16日 ※取材させて頂いた方の所属、役職等は取材当時のものです

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