私の透析体験談
このコーナーでは、仕事や趣味などを通じて充実した毎日を過ごされている透析患者さんにご登場いただき、
透析療法を続けながらも人生を楽しむコツなどについて お話しいただきます。

私の透析体験談 Vol.8
夢はアジアにミュージカルの聖地を作ること。
病気なんかで夢をあきらめてなるものか!

中村 龍史(なかむら りょうじ)さん(66)腹膜透析歴 12年、血液透析歴 7年 写真
舞台演出家の中村龍史さんは、“筋肉で音楽を奏でる”をコンセプトに、スポーツと舞台演劇を融合させた「ノンバーバル・ミュージカル」という新しいエンターテイメントのジャンルを開拓されています。
最近では話題になったテレビドラマに出演するなど、透析療法を20年以上続けながら、演出家・振付家・エンターテイメント作家・ミュージシャン・俳優として幅広いジャンルで精力的に活動されています。
中村さんの夢は、ブロードウェイのようなミュージカルの聖地をアジアに作ること。
「透析ごときで夢をあきらめてなるものか」という強い信念をお持ちの中村さんに、透析療法を続けながら自分の人生を楽しむヒントをお聞きしました。

中村 龍史(なかむら りょうじ)さん(66)
腹膜透析歴 12年、血液透析歴 7年

舞台演出家の中村龍史さんは、“筋肉で音楽を奏でる”をコンセプトに、スポーツと舞台演劇を融合させた「ノンバーバル・ミュージカル」という新しいエンターテイメントのジャンルを開拓されています。
最近では話題になったテレビドラマに出演するなど、透析療法を20年以上続けながら、演出家・振付家・エンターテイメント作家・ミュージシャン・俳優として幅広いジャンルで精力的に活動されています。
中村さんの夢は、ブロードウェイのようなミュージカルの聖地をアジアに作ること。
「透析ごときで夢をあきらめてなるものか」という強い信念をお持ちの中村さんに、透析療法を続けながら自分の人生を楽しむヒントをお聞きしました。
筋肉自慢の出演者の中で、私が一番元気!
中村 龍史(なかむら りょうじ)さん(66)腹膜透析歴 12年、血液透析歴 7年 写真1

――
透析はいつ頃から始められたのですか。
47歳の時です。ただ、両親ともに生まれつき腎臓が悪く、多発性嚢胞腎という遺伝性の病気で叔父も叔母も姉も透析療法を受けていたので、自分もいずれは・・・と覚悟はしていました。父親は私が20代はじめの頃に透析療法を始めたのですが、私もその頃にクレアチニンの値が悪かったので精密検査を受けたところ、やはり同じ病気であることが分かりました。
――
いつかは透析になるかもしれないと覚悟されてから、実際に透析になるまでの約20年間はどのようにお過ごしになられたのでしょうか。
透析療法を始める覚悟はしていましたが、その頃は症状もなく、仕事も忙しかったので私自身はあまり気にしていませんでした。お酒も気にせず飲んでいましたね。ただ、そういう体質だったこともあって検査は定期的に受けていました。

けれども、妻はやはり心配して特に食事に気をつけてくれました。仕事場に行くときも弁当を作ってサポートしてくれました。良い食材を選んで塩分控えめでも美味しい料理を作るのは大変だったと思いますが、食事に関しては妻に全部任せられて、私はほとんど心配しなくて済んでいることに感謝しています。
――
47歳の時というと仕事も脂が乗ってお忙しい時期だったのではないでしょうか。
そうですね。そのため仕事に支障を来さないようにまずは腹膜透析を選びました。
――
腹膜透析にすることで、それまでと同じようにお仕事を続けられたのですね。
腹膜透析は自宅でできるので、時間さえ調整すれば特に仕事には支障はなかったですね。リハーサルは午後から行われることが多いので、夜に帰宅後、朝まで自宅で透析をしていました。地方や海外の公演に出かけるときも毎日、透析は欠かさず続けました。車や飛行機の移動時に透析したこともあるんですよ。
――
振付をされるには、ご自身も相当な運動をされるのでしょうか。
振付は体の動きを口で説明するよりも実際に動いてみせた方が、役者も理解しやすいので、役者はもちろん、私もすごく動きます。運動量は普通のアスリート並みですよ。50歳からは「マッスルミュージカル」の演出を手がけましたが、70人ほどの筋肉自慢の男女を引っ張って行かなければならないのは並大抵のエネルギーではできなかったですね。例えば、足で床をたたくフットドラムというのがあるのですが、振付する私も大腿四頭筋がダメになるんじゃないかと思うぐらい身体をハードに使っていました。
――
周りの方は、中村さんの体調を気づかったでしょうね。
いいえ。余計な気遣いをさせたくなかったので、関係者には私が透析をしていることは伝えていませんでした。61歳の時に「満身ソウイ工夫」(光文社)という本を書いて、そこで初めて公表しました。出演者の中で私が一番元気でしたから、透析をしていると知って、みんなビックリしたくらいです。
透析中は自分だけの貴重な時間
――
腹膜透析を12年間続けられた後、血液透析に変更されたのですね。
排液量がだんだん少なくなってきて、主治医からも勧められたので血液透析に変えました。透析の後は身体が疲れてしまうので夜間透析をしていたのですが、週3日の透析と仕事の両立が難しく、クリニックでの血液透析を2年間続けた後、在宅血液透析に切り替えました。
――
在宅透析は透析の準備から後片付けまで、すべてご自身がしなければならないので大変ではないですか。
穿刺のトレーニングをしたり手順を覚えたりと大変なことはありますが、すぐに慣れましたよ。私は面倒臭がりで、腹膜透析を始めるときも毎日続けられるか心配でしたが、意外と順応性があって1カ月もしないうちに生活の一部になっていましたね。透析をしないと死んでしまうわけだから、そう思えば誰でも続けられますよ。私は、生きがいの仕事を続けるためには透析はやらなければならないことなんだと、脳にしっかり植えつけています。そうすると透析も苦にはなりません。
中村 龍史(なかむら りょうじ)さん(66)腹膜透析歴 12年、血液透析歴 7年 写真2

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透析を始める患者さんの中には、週3回、毎回4時間もベッドの上にいるのは苦痛なのではと心配している方もいらっしゃるかと思います。
人間は想像力があるので、始めるまではいろいろ想像してしまいますが、実際にやってみると、それほど大変なこともないです。私は透析の間、ベッドの上で過ごさなければならないと考えるのではなく、「自分だけの楽しみの時間」と意識して工夫していました。透析にはちょっとつまめるお菓子と好きな映画のDVDやCDを持ちこんで、とにかくその時間を楽しいものにする。今は自宅なのでギターを弾いたり、キーボードで作曲したりすることもあります。本を読み続けると目が疲れるのでオーディオブックを聞いたりもしています。

透析の間は誰にも邪魔されない自分だけのリラックスタイムです。たった一人で4時間も過ごせる経験はなかなかできないし、人生で貴重なメリットではないでしょうか。これを活かさなければもったいないですよ。
透析療法をよく知って自分に合った治療をすることが大切
――
今後のお仕事のご予定を教えていただけますか。
昨夏から1年かけて毎月通い、演出・振付した、長崎県大村市の市民ミュージカルが今年(2018年)の8月に上演されます。脚本は妻の中村留美子で、市民44名に当てて書いたオリジナルです。

また、マッスルミュージカルのセカンドステージも予定しています。2001年(12月初演)から2007年まで取り組んだマッスルミュージカルは、横浜市の専用テント(シアター)での公演、同時に日本各地での公演のほか、2度のラスベガス公演も成功させました。日本のオリジナルミュージカルとしては初の快挙でした。

マッスルのセカンドステージは、大手のプロダクションと共に、全国でオーディションを行い、海外公演も視野に入れて創ります。ぜひニューヨークに持って行ってトニー賞のミュージカル部門を受賞できたらと念じています。
ライブで演奏される中村さん
ライブで演奏される中村さん

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ますます精力的に活動されていて今後のご活躍が楽しみです。トニー賞は中村さんの夢の一つなのでしょうか。
もちろんです。私がニューヨークで倒れた時の命の恩人、ブロードウェイのプロデューサー川名康浩さんは日本人として初の作品賞をとりました。本当に嬉しかった!友人として誇りに思っています。ミュージカルと言えば米国のブロードウェイ、英国のウエストエンドなどが浮かびますが、私の夢は、アジアに世界中のミュージカルファンが集まるミュージカルの聖地を作ること。この夢の実現を透析ごときに邪魔されてなるものかと思っています。
――
「透析ごとき」に負けてはならないと。
そうです。私は腎臓のほかにも脊柱管狭窄症で歩くのが不自由だとか、いろいろと病気を抱えていてそれこそ満身創痍ですが、成し遂げたいことがあるから透析ごときに私の人生を左右されたくはありません。病気とうまく付き合っていて、それが背中を押してくれているのかもしれませんが、そう言うと透析自体が調子に乗っちゃうから(笑)。だから、「透析ごとき」なんです。

それに、私の仕事は人を元気にさせることだから。私の作品をみた人が、すごく嫌なことがあってもまた明日から頑張ろうと思ってくれることが一番嬉しい。作り手が元気で楽しく生きていないといいものも作れないですから。
奥様とご一緒のお食事を楽しむ中村さん
奥様とご一緒のお食事を楽しむ中村さん

――
ご家族のことを考えれば、なおさらですね。
家族といっても、劇作家でプロデューサーの妻だけですが。彼女は人生のパートナーであり、仕事のパートナーでもあります。私が創りたい舞台も、遺伝性の病気も良く理解してくれているし、いつも笑顔で「毎日、顔を洗うように、歯磨きするように、透析してね」と背中を押してくれます(笑)。また、カンパニーのメンバーも仕事の面で私を支えてくれているので、暗い顔をしているわけにはいきません。日々精進です。
――
これから透析療法を予定されている方や透析療法中の患者さんに、何かメッセージをいただけますか。
一度だけの人生ですから、楽しまなければもったいないです。透析をしていても仕事や趣味は続けられますし、食事だって食べ過ぎなければ何でも食べられます。ですから、透析に人生が左右されるなんてことはありません。

ただ、一口に「透析患者」と言っても、数十万人いる患者はみんなそれぞれ身体の状態やライフスタイルなどが違いますよね。まずは透析ってどういうものかを十分に知った上で、それぞれに合った透析療法を見つけることが大切だと思います。透析療法があるから生きて行ける有り難さを感じつつ、たかが透析ごときで自分の人生を邪魔されたと思わないようにしないといけない。自分に合った透析を行いながら、自分の人生を全うするんだという強い意志を持ち続けて行きたいし、他の患者さんにもそうしてもらえたらと思います。
中村 龍史(なかむら りょうじ)さんのプロフィール
1951年 東京・東上野生まれ。
劇団四季4期生を経て、1981年、コンサートの構成・演出・振付を一人で手がける演出家としてデビュー。演劇的な要素をコンサートに取り入れ、卓越したアイデアとストーリー性のある振付で、松任谷由実、小林幸子など数多くの歌手の舞台をショーアップ。また、歌って踊れるアイドル集団の先駆け「東京パフォーマンスドール」は、大阪、中国の上海と立て続けに手がけ、各方面で高い評価を獲得し、今では当たり前となっているコーラス・バンド・ミュージシャンが踊り、観客を巻き込み参加させる、観客参加型のステージを確立させた。
その後、ミュージカル・演劇・国体の開会式(大阪なみはや国体)・日中合作オペラ等の多岐に渡る演出・振付で300本以上の舞台を手がけ、キャリアを積む。
1998年から腹膜透析を導入。

2001年から2007年夏まで、アスリートの身体能力を駆使し、演劇とスポーツを融合させ、身体を叩いてリズムを奏でるボディスクラップ、腕立て伏せをピアノの鍵盤に見立てたキーマン、楽曲にあわせて踏み切る跳び箱のパフォーマンス等々を繰り広げる「マッスルミュージカル」の構成、振付、演出を手がけ、ノンバーバル・ミュージカルという新しいジャンルを開拓。国内はもとより、二度に渡るラスベガス公演(リビエラホテル・サハラホテル)を成功させて注目を集める。
2010年血液透析に切り替える。
2012年から在宅血液透析を導入。

2008年にはマッスルミュージカル出身のメンバーらとともに「中村JAPANドラマティックカンパニー」を旗揚げ。
2017年、演出・振付を手がけた富良野GROUP特別公演「走る」(作・共同演出:倉本聰)は、1年間のワークショップのドキュメンタリーと共に話題を集めた。倉本聰のテレビドラマにも俳優として出演。劇中の「やすらぎ体操」の作詞・作曲・振付をしたことでも知られ、多方面で活躍されている。

透析療法については2012年に「満身ソウイ工夫 頑張りすぎない人工透析との闘い方」(光文社)を出版するまで仕事関係者には明かしていなかったという。

オフィスひらめ
http://office-hirame.net/
監修医からのアドバイス
昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門 客員教授 秋澤 忠男 先生

昭和大学医学部内科学講座 腎臓内科学部門
客員教授
秋澤 忠男 先生

中村さんは透析療法を20年間続けられていますが、大変お元気にお過ごしです。中村さんは仕事で身体を使われており、日常生活でもサイクリングなどの運動を心がけているそうですが、それが良い影響を及ぼしているのかもしれません。

前回の高木さんの時にもお話ししましたが、透析患者さんは適度な運動で寿命が延びる、透析の効率が良くなるうえに、心臓の働きや睡眠、生活の質の改善も期待されています。主治医と相談したうえで無理のない運動を毎日の生活に取り入れるとよいでしょう。

もう一つ大事なことは「意欲」です。中村さんのお話しを聞いていると、自分の人生でやるべきことをきちんと見据えて、透析ごときで(透析が必要だからと言って)一度だけの人生の楽しみを奪われてたまるか、という気概が強く伝わってきます。透析はそれを達成するための一つの手段、であれば自分だけのリラックスタイムとして、透析を楽しまれるのがよいでしょう。

中村さんのおっしゃる通り、透析患者さんにはいろいろな方がおいでです。しかし、皆さんが自分に合った透析療法を見つけて、自分の人生を全うするんだという強い意志を持ち続けて頂くことがとても大切だと思います。
中村さんは透析療法を20年間続けられていますが、大変お元気にお過ごしです。中村さんは仕事で身体を使われており、日常生活でもサイクリングなどの運動を心がけているそうですが、それが良い影響を及ぼしているのかもしれません。

前回の高木さんの時にもお話ししましたが、透析患者さんは適度な運動で寿命が延びる、透析の効率が良くなるうえに、心臓の働きや睡眠、生活の質の改善も期待されています。主治医と相談したうえで無理のない運動を毎日の生活に取り入れるとよいでしょう。

もう一つ大事なことは「意欲」です。中村さんのお話しを聞いていると、自分の人生でやるべきことをきちんと見据えて、透析ごときで(透析が必要だからと言って)一度だけの人生の楽しみを奪われてたまるか、という気概が強く伝わってきます。透析はそれを達成するための一つの手段、であれば自分だけのリラックスタイムとして、透析を楽しまれるのがよいでしょう。

中村さんのおっしゃる通り、透析患者さんにはいろいろな方がおいでです。しかし、皆さんが自分に合った透析療法を見つけて、自分の人生を全うするんだという強い意志を持ち続けて頂くことがとても大切だと思います。

取材実施日:2018年3月14日 ※取材させて頂いた方の所属、役職等は取材当時のものです

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