キッセイの「これまで」
株式会社橘生化学研究所創設
当社の歩みは、前身である株式会社橘生化学研究所の設立から始まります。終戦から間もない1946年(昭和21年)8月、医薬品をはじめ物資が不足する中、医薬品の製造を目指して、長野県松本市に橘生化学研究所(タチバナセイカガクケンキュウショ)が設立されました。長野県は古くから生薬の産地としても知られ、製薬産業には、まさに格好の土地でした。
通り名の「キッセイ」が正式呼称に
会社創設の翌年、1947年(昭和22年)には「橘生薬品工業株式会社」と商号を改め、社業の進展を図ることとなりました。
この商号は「タチバナショウヤクヒン」との読み方で、創業当初から社名候補となっていましたが、「○○生薬品」という社名が他に見られないこともあって、通り名であった「キッセイヤクヒン」が社名の正式な呼称となりました。
2つの「S」
社名を円で囲み、2つの「S」の字が円を支える社標のデザイン。『円』は地球という社会と、理想に向かう社員の調和を表し、2つのSは『純良医薬品を通じて社会に貢献する』『会社構成員を通じて社会に奉仕する』という経営理念が込められています。
消化管内ガス駆除剤
「ガスコン」発売
消化管内ガス駆除剤「ガスコン」は、1961年(昭和36年)12月に発売した、胃腸管内のガスを駆除する薬です。このころから広く応用され始めた胃カメラの検査においても、撮影を妨げる胃内有泡性粘液を除去する医薬品として使用され、会社の知名度を一気に高めました。現在も医療の第一線で使用されています。
キッセイ薬品工業株式会社と改称
本社及び工場を現在地に建設移転
1964年(昭和39年)10月、新社屋への移転を機に、社名も「橘生薬品株式会社」から「キッセイ薬品工業株式会社」へと、カタカナ表記に変更されました。新工場の火入れ式は、東京オリンピックの開会式当日の10月10日に行われ、テレビに映し出された聖火の輝きと共に操業を開始しました。
給水塔
本社(松本市)敷地内にある高さ17m余の給水塔に表示された「キッセイ」の社名は当時、少し離れた国道や鉄道からもはっきりと見え、新生「キッセイ」のシンボルタワーとなりました。給水塔としての役割を終えた今でも、会社の象徴として同じ場所に存在しています。
アレルギー性疾患治療薬
「リザベン」発売
アレルギー性疾患治療薬「リザベン」を1982年(昭和57年)8月に発売しました。
創製品であるリザベンの研究開発には、いく度もの苦境がありました。しかし、「研究開発なくして製薬企業にあらず」の強い信念が、アレルギー性疾患治療薬として、喘息では初めてとなる内服薬を誕生させました。
東京証券取引所市場第二部上場
1988年(昭和63年)12月22日、東京証券取引所市場第二部への上場を果たしました。創業以来四十余年の当社の歴史は、この日から新たなステップを踏み出していくこととなります。
上場に際して行われた株式の公募によって、自己資金は大幅に増加し、経営の基礎が固められました。
中央研究所竣工(安曇野市)・移転
食品事業室開設
中央研究所はそれまで本社敷地内にありましたが、経営規模の拡大と相まって研究者も増加し、新薬開発力の増強を目指す中にあって、手狭なものとなり、安曇野市(当時は南安曇郡穂高町)に新たな研究施設を建設しました。北アルプス山麓にあって自然環境に恵まれたこの地域に、1990年(平成2年)11月、新たな研究所が竣工しました。
また、これに先立つ同年4月には、治療食の研究・開発、販売を行う食品事業室が開設されました。医食同源の考えのもと、特定疾患の治療を“食”の面から支援すべく、キッセイの新たな取り組みがはじまり、現在のヘルスケア事業へとつながっていきます。
21世紀への飛躍と発展を期した新たな幕開けの年となりました。
東京証券取引所
市場第一部上場
第二部上場から2年8ヵ月という短期間で1991年(平成3年)9月2日に東京証券取引所市場第一部上場となりました。松本市に本社を置く企業としては初の一部上場であり、地元経済界からも大きな期待が寄せられました。当時の社長であった故・神澤邦雄名誉会長は「一部上場はゴールではなく、21世紀に向けた飛躍のスタート」と説き、全社員が気を引き締めて新たな使命に邁進することを誓いました。
表彰状
1994年(平成6年)9月、株式投資魅力の向上に優れた実績をあげた企業と認められ、東京証券取引所から表彰を受けました。長期継続して配当金の実質的な増加を図り、株主への利益還元に実績をあげたことが高く評価されたものでした。
塩尻工場竣工
1994年(平成6年)10月、生産ゾーン拡充の一環として長野県塩尻市に塩尻工場が竣工しました。新工場には、それまで本社併設の松本工場にて行っていた錠剤をはじめとする固形製剤の包装工程が移設され、製造の最終工程を担いました。医薬品の原材料の入荷から製造・出荷までを管理するコンピューターシステムを導入し、生産のリードタイム短縮が図られ、生産性の向上に大きく貢献しました。
キッセイ球場
塩尻工場の敷地内には軟式野球の公式戦ができる球場があります。全日本軟式野球連盟の公式球場に指定されているほか、テニスコートも併設され、スポーツを通じた地域との交流の場となっています。
米国キッセイ㈱設立
国際競争力の強化と最新情報の収集・調査を担うべく、1997年(平成9年)10月に米国キッセイ㈱を当社100%出資の海外子会社として設立しました。2004年(平成16年)3月には、キッセイアメリカ㈱として米国現地法人を再編し、提携企業との連携を行う重要な窓口として現在に至っています。
糖尿病治療薬「グルファスト」発売
当社は創製品である糖尿病治療薬「グルファスト」を2004年(平成16年)5月に発売しました。グルファストは発売以来、アジア各国にも展開しています。また、2011年7月には、速効型インスリン分泌促進作用とα-グルコシダーゼ阻害作用の2つの作用を持つ配合剤「グルベス」を発売しました。
前立腺肥大症に伴う
排尿障害改善薬「ユリーフ」発売
前立腺肥大症は中高年以降の男性に多く発症し、尿勢低下や夜間頻尿など生活の質(QOL)を低下させる疾患です。当社は創製品である前立腺肥大症に伴う排尿障害改善薬「ユリーフ」を、第一製薬㈱(当時)と共同で開発し、2006年(平成18年)5月に発売しました。現在、第一三共㈱と共同販売しています。ユリーフの開発による功績に対し、2013年(平成25年)に「平成25年度関東地方発明表彰 日本弁理士会会長奨励賞」、2014年(平成26年)に「平成26年度全国発明表彰 発明賞」と、2度の表彰を受けました。
ユリーフは日本のみならず、欧米をはじめとする海外の国々でもグローバルに展開しています。
医療用医薬品カートンの工夫
薬局等における作業の簡便化を検討した結果、管理上必要な情報をカートンの特定部分に集約して記載するとともに、その周辺にミシン目を入れ、カード状に簡単に切り取ることができる国内初の仕様に改良しました。これにより、当社は、2010日本パッケージングコンテスト(第32回)において最高賞である「ジャパンスター賞」と平成23年度関東地方発明表彰において「発明奨励賞」を受賞しました。
高リン血症治療薬「ピートル」発売
「ピートル」は透析中の慢性腎臓病患者さんにおける高リン血症の改善を目的とした医薬品です。2015年(平成27年)11月に発売しました。
水分摂取制限がある慢性腎臓病患者さんにも服用しやすいように、剤形として「チュアブル錠」を採用しています。
剤形工夫
患者さんの利便性を向上させるべく、剤形も工夫しています。
2014年(平成26年)には口腔乾燥症状改善薬「サラジェン」で、錠剤の服用が困難な患者さんでも比較的容易に服用できる顆粒剤を発売しました。
また、ピートルには噛み砕いて服用いただけるチュアブル錠を採用したほか、2016年(平成28年)にはユリーフとグルファストについて、口腔内で唾液または少量の水で速やかに崩壊するOD錠を発売するなど、様々な剤形の導入にも積極的に取り組んでいます。
東京証券取引所プライム市場移行
2022年(令和4年)4月4日、東京証券取引所の市場区分見直しにより、市場第一部から最上位に位置づけられた「プライム市場」へと移行しました。最上位市場上場会社にふさわしい企業と認められるよう、持続的な成長と企業価値の向上を目指していきます。
MPA・GPA治療薬「タブネオス」発売
「タブネオス」は、抗好中球細胞質抗体(ANCA)関連血管炎に分類される顕微鏡的多発血管炎(MPA)、多発血管炎性肉芽腫症(GPA)の治療薬です。2021年(令和3年)9月に世界に先駆けて日本での製造販売承認を取得し、2022年(令和4年)6月に発売しました。
慢性ITP治療薬「タバリス」発売
2023年(令和5年)4月に発売した「タバリス」は、指定難病である慢性特発性血小板減少性紫斑病(慢性ITP)の治療薬です。新規作用機序を有し、ステロイドをはじめとする既存の治療法では効果が不十分な患者さんの新たな選択肢として期待されています。